オートバックス50周年記念サイト AUTOBACS ロゴマーク

オートバックス50周年記念サイト

AUTOBACS ロゴマーク

Youtube
Instagram

Loading…

‘‘

ARTAプロジェクトは日本のレース界にとって
すごく意義のある活動なんです

’’

50th SPECIAL INTERVIEWオートバックス50周年アンバサダー 特別インタビュー

鈴木 亜久里AGURI SUZUKI

オートバックスとの出会いやこれまでの歴史、
今後の抱負やオートバックスに
期待することなどをお話しいただきました

ARTA鈴木亜久里さん特別インタビュー! movie start

オートバックスとの出会い

一番最初のオートバックスとの出会いは、家のそばにオートバックスができた時。俺が16歳の時だから1976年かな?家から自転車で2~3分のところにオートバックスができて結構センセーショナルだったね。
今までは自動車用品といったら、マニアックなショップみたいなところが多かったけど、スーパーマーケット的な展開で店の前にタイヤがいっぱい並んでいて大きなお店だった。(今見ると小さいお店なんだけどね)
カートをやってたしオートバイも乗ってたんでオイルを買いに行ったり、そういうのが一番最初のオートバックスの接点かな。それまでオイルはガソリンスタンドで買っていたのが自分で物をチョイスできて、店内もオレンジ色で明るくて、お店に行くのが結構ワクワクする楽しいお店だった。周りに全くそういう店がなく、しかも隣に山田うどん店があって、うどんを食べに行くついでにオートバックスに行くとか、親父に連れて行かれる感じだった。

レース活動におけるオートバックスとの繫がりについて

1982年、僕は18歳の大学1年生の時にトムスっていう会社へアルバイトに行くようになった。トムスと童夢が82年に国産で初めてのグループCカーを作った時にオートバックスがスポンサーしたんだよね。そしてトムスの舘さん、星野薫さん、僕の3人で乗ることになった。
WEC(世界耐久選手権)が日本で初めて開催される時、一番上のカテゴリーのグループCに初の国産マシン、そしてオートバックスのカラーリング。
その時は僕とオートバックスの接点があったわけじゃないんです。トムスのグループCカーにオートバックスがスポンサーされてて、それに乗せてもらったわけだから。スタート前にオートバックスの創業者の住野敏郎さんとか偉い方がみんな来られたと思うんだよね。でも一番末端のドライバーだから、ほとんど誰にも紹介をされず(笑)
レース活動として一番最初のオートバックスとの接点がそこだから、やっぱりなんか縁があったね。

ARTAプロジェクト発足について

F1をやめて日本に帰ってきて、1996年にフォーミュラーニッポンというレースカテゴリーのチームを作ったのがチーム活動の最初。その年からフォーミュラーニッポンは立ち上がったんだけど、その時は船井電機さんていう電機メーカーがスポンサーだったんですよ。
97年に船井電機さんと一緒にやってる時、船井電機さんが取引先のオートバックスセブンの西原副社長(当時)をフォーミュラーニッポンに招待してくれて、西原さんといろんな話をした。オートバックスはその時モータースポーツの草の根活動、アマチュアドライバーを応援する活動を立ち上げたばかりだった。西原さんに若い子たちが伸びていくのを応援したいんだっていう話をしたら、住野公一社長(当時)に会わせてくれたんだ。
そこからARTAの構想が始まって若い子を育てていくプロジェクトを97年に発表して、98年から活動を開始したのがARTAプロジェクトの始まりですね。

オートバックスとはスポンサーという括りだけじゃないから繋がっていたと思うよね。プロジェクトを一緒にやっていこうというコンセプトだからこれだけ長く続いてるんだと思う。今もカートのシリーズの応援をしてもらってるし、GTもそうなんだけど、若い子たちを応援していこうっていう想いから始まってるから長く続いてるんだ。単純なレーススポンサーだったら、こういう風な流れにはならなかったと思う。スポンサーというよりは、一緒にやっていただいているパートナーっていう感じだね。

振り返ると今の日本のレース界、ARTA出身のドライバーばっかりじゃないですか。F1に連れて行くのは難しかったけど、みんな監督にもなっている。伊藤大輔、脇阪寿一、本山哲、金石勝智もそうだから。みんなドライバーだったのが、そこからまた成長して日本を引っ張っていくチームの監督になってたりね、そういう形になってるから、そのDNA自体はARTAプロジェクトからの始まりなんだよね。
日本のレース界において、ものすごく意義のある役割だったと思いますよ。オートバックスとしてやっていただいたこの活動は、ドライバーを育てるだけじゃなく、レース界を引っ張っていく人材を育てている。すごいプロジェクトだったと思う。

オートバックスのレース活動について

創業者の住野敏郎さんをはじめ、皆さんがレース好きだよね。昔のカーマンアパッチとか自分で製作に関わってレースに出るようになって、F1のスポンサー(ティレル)もやってみたり、グループCもやって、その辺はやっぱり住野敏郎さんのDNAなんじゃない? 社長が変わると、やめるって言う社長が出てくるのに、住野敏郎さんから住野公一さんになって、湧田さん、小林さん、堀井さんに社長が変わって、普通はどっかで終わると思う。それなのにまだ一緒にやっている。オートバックスは他社よりも多分レース好きのDNAは強いね。こうやってずっと続いてるっていうのはすごいと思います。

50周年を迎え、今後のオートバックスに期待することと、これからの抱負について

車を取り巻く環境が、これからどんどんガソリン自動車から電気自動車に変わっていくと思うけれども、カー用品の業態ってなくならないと思うし、ずっと続いていくと思うね。レース自体の形が変わったとしても、一緒にやれるところまではやっていきたいと思う。もう根本はやっぱり自動車が好きだったりレースが好きだったりってあるじゃないですか。オートバックスはそこのところが変わらない限り続けていけるだろうなと思いますね。

僕は今JAFの仕事もしてるんだけど、JAFの括りから見ると公認のモータースポーツしか見れないかもしれないけど、車好きって全然減ってないんですよ。日本のサーキットは小さなローカルのサーキットみたいのがいっぱいあるんだけど、JAF公認や公認じゃないのも入れて1年間に1,500とか走行会イベントをやっているんですよ。多いイベントでは200台ぐらい集まる走行会とかいっぱいあるんだよ。モータースポーツ好きだからレースっていう括りだけじゃなくて、自分が走る参加型、そういう車好きな人ってのはもう山ほどいる。自分で車を持っていて、サーキット走行会とかジムカーナをやっている。モータースポーツにとっては決して今ネガティブな方向じゃないよね。峠でなくてサーキットで走るから安全性も峠よりはいいし。

サーキット走行とかモータースポーツに接してる人たちってのは減ってるよりも増えてるかもしれないね。走ることが好きな人は実は増えてる。オートサロンやこの前のモビリティショーを見ても、お客さんはすごく増えてるもんね。そういう部分では全然何かネガティブな要素じゃないよね。

それをもっと伸ばしていくことが大事かもしれない。トップカテゴリーのスーパーGTとかスーパーフォーミュラのファンを増やす、それはそれでありだと思うんだけど、でもゴルフじゃないけどさ、見るゴルフもあるけど自分がやるゴルフの楽しさ、自分がやるサッカーの楽しさ、ってあるじゃないですか。モータースポーツも自分で楽しむサーキット走行だとか広がっていく要素はあるんで、それの種まきをオートバックスがしていけば車好きをどんどん増やすチャンスはいくらでもあるよね。見るモータースポーツから参加するモータースポーツ、そのお手伝いをするオートバックスっていいんじゃないですかね。そっちの路線をどんどん考えてもいいよね。

PROFILE

鈴木 亜久里

すずき あぐり

  • 1960年9月8日生まれ
  • 東京都板橋区出身
  • 身長 180cm
  • 血液型 A型
  • 元レーシングドライバーで実業家
  • 株式会社アルネックス代表取締役
  • 中嶋悟に次ぐ日本人2人目のF1フル
    タイムドライバー
ページトップへ